はじめに
ザハ・ハディドと言えばきっと東京オリンピックの新国立競技場のコンペ案で名前を聞いたことがあるのではないでしょうか??
残念ながら実現することはありませんでした。そんな選ばれても立てられない建築が多かったことから「アンビルトの女王」の異名を持つザハ・ハディドについて今回は紹介して行きます。
ザハ・ハディドについて
概要
現代建築の「脱構築主義」を代表する建築家の1人。今までは考えられなかった奇抜なデザインで多くのコンテストで優勝しているが、選ばれても建築不可能(予算問題が多い)となり、建築されないことが多い。そのため「アンビルト(建たず)の女王」という異名を持っている。
近年は建築技術の進歩によって建築可能なものが増えてきた。
設計手法は3次元CADを用いてコンピューター上でデザイン、モデリングを行う。従来に無い曲線的な建築はこのコンピューターがあってこそ実現している。
経歴
- 1950年10月31日 イラク バグダードに生まれる。
- 1972年 イギリスに移り住む
- 1977年 レム・コールハースの設計事務所OMA「オフィス・オブ・メトロポリタン・アーキテクチャ」 で働く。
- 1980年 独立し「ザハ・ハディド・アーキテクツ」を設立
- 1983年 ピーク・レジャー・クラブの建築設計競技で作品が選ばれる。
- 1988年 ニューヨーク近代美術館が主催した「脱構築主義展」に参加。
- 1993年 ヴィトラ消防署が彼女の作品として初めて実現
- 2000年以降 建築技術の進歩によっていくつもの作品が完成する。また多くのコンテストで勝利している
- 2002年 大英帝国国勲章コマンダー(CBE)を受賞
- 2004年 建築のノーベル賞と言われるプリツカー賞を女性初受賞
- 2012年 大英帝国国勲章デイム・コマンダー(DBE)を受賞
- 2016年 RIBA(王立英国建築家協会)ゴールドメダルを女性初受賞
- 2016年 3月31日 マイアミの病院にて心臓発作のため65歳で亡くなる
ザハ・ハディド・アーキテクツ
1980年にOMAから独立し、設立した自身の設計事務所である。1988年からは建築家のパトリック・シューマッハが共同代表となる。
ロンドンの旧小学校に設立され、当初は1クラスだけが事務所だったが現在は小学校すべてが事務所となっている。さらに近隣にギャラリー兼オフィスがある。またハンブルク・中国にも分室があり、総勢450人近い人が働いている。
ザハ・ハディドの建築作品
アンビルド作品(未完の作品)
1983年 ザ・ピーク
ザハ・ハディド独立後最初の作品。
コンペに勝利したものの事業者が倒産してしまったことで実現することはありませんでした。
2007年 アブダビ パフォーミングアーツセンター
アラブ首長国連邦のアブダビに建設予定だった舞台芸術センター。5つの劇場、ミュージックホール、コンサートホール、オペラハウスと収容する建物です。
費用がかかり過ぎるということで計画が中止になってしまいました。
流れるような構造に独特な窓の形状が特徴的です。
少し、新国立競技場の案に似ている要素がありますね。
有名な作品
2011年 ヘイダル・アリエフ文化センター
アゼルバイジャンの首都であるバグーにある複合施設です。ザハ・ハディドの作品の中でも代表作と言える作品だと思います。とても特徴的なフォルムとザハ・ハディドらしい洗練された流線的なデザインが特徴的ですね。
2012年 銀河SOHO
宇宙のような流れる内部空間を生み出している銀河SOHOはザハらしい建築の一つでしょう。
四つの大きなボリュームが連続的に流れながら繋がっており、滑らかな流れとともに空間が変化していきます。
2017年 ナポリ・アフラゴーラ駅
駅というより橋のような見た目をしています。設計コンセプトに橋が入っているから、しっかり表現されていて美しい。
そして、スピード感のある外観が電車の速さを表しているように感じますね。
まとめ
先進的なデザインの作品を提案し続け新しい建築と作り上げた建築家の一人です。新国立競技場の初期案が実現しなかったのは、個人的にはとても残念でした。2016年にザハが亡くなってしまいました。
もし、新国立競技場をあのまま着工していれば、偉大な建築家が監修した最後に遺作になっていたものです。日本はとても大きなチャンスと逃したのではないかと僕は思っています。
仕方ありませんが!!!建築学生的にはザハ・ハディドの作品が日本にも欲しかったーーー!!!